アルコールシャーベット

2023/02/11 Sat 23:27

以前、緩和ケアに関わられる栄養士さんから
「癌の末期で食事がとれなくなっても、シャーベットでならお口に入るかも」
「アルコールのお好きな方なら、アルコールをシャーベットにすると喜ばれます」とお聞きしました。

癌の末期の男性の方を看取りました。
病状が進行し、お体が大変になり、病院に通院できなくなってきた時に
病院の先生のご紹介状を持ってご家族が在宅診療のご希望で来られました。
早速ご自宅にお伺いすると、食事がとれなくなってきていて、お辛そうでした。
息子さんとお嫁さんが本当によく看病されていました。
その時、息子さんにこのアルコールシャーベットのお話をして、ぜひお父様とご一緒にお酒を楽しんだらとご提案しました。
その後も残念ながら病状は悪化の一途をたどり、昏睡状態となったときに、お孫さんもご一緒に看病されていました。

そして、
死亡の確認の最後の診察の後、息子さんが私に向かって、
「もう最期と思い、父の横で一杯やりました」と話してくださいました。

もちろん臨終のお父様はお酒は飲まれませんが、
きっと息子さんと一緒に盃を取り交わしいたのでしょう…
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残る日々

2022/09/28 Wed 23:09

 台風15号の影響で、清水区に断水が発生しました。
たんぽぽ診療所のスタッフのお宅も、そして私の実家も妻の実家も断水しました。
皆様方の懸命な復旧作業で徐々に水道水の供給が再開されています。
本日、テレビのニュースで水道水供給の再開されたご家庭の方が
「これまで何とも思わなかった水が『いのちの水』に思えた」とおっしゃっていました。

私は透析患者さんに関わらせていただくことが多くありました。
ずっと主治医として診てきた患者さんが、腎移植のチャンスを得て、移植を受けられることもありました。
すると、何年間も出なかった尿が、移植した腎臓の働きで、尿が出てきます。
その尿を、ある患者さんが「トパーズ色の尿だ」とおっしゃられたのを忘れられません。

たんぽぽ診療所は普通の家庭医の診療所ですが、在宅診療で緩和ケアを行わせていただいています。
さまざまな病いで、もう生きる日の少なくなっていく方とそのご家族と共に歩んでいくことは
日々学ぶことが多いです。
特に私のように惰眠をむさぼっている者には、この最期が近づいている方と、
その方を喪う悲しみに耐えているご家族と触れ合えることは
「いのちの水」「トパーズ色の尿」の存在を感じさせて下さる機会です。

私が敬愛する神谷美恵子先生がこの世を去る最期にしたためられた詩に「残る日々」があります。

「残る日々」
ふしぎな病を与えられ
もう余り生きる日の少なきを知れば
人は一日一日を奇跡のように頂く
ありうべからざる生として


また患者さんのもとに向かいます。
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リトル・トリー

2022/07/24 Sun 22:30

 最近「東大教授、若年性アルツハイマーになる」という本を読みました。
脳外科医で東京大学教授であった若井晋先生が東大教授現職中に若年性アルツハイマーを発症し、
「なんで私が!こんな病気になるんだ!」という思いに苦しみ続けながら亡くなられるまでを奥様であられる若井克子さんが書かれた本です。
その最後の所でこんな文章があります。
「彼(晋)は若年性アルツハイマー病になって、知識を、地位を、職を失った。
それが世間からは「天国から地獄に落ちた」ように見えるだろう。
だが私には、むしろすべてを失ったことで「あるがまま」を得て、人生の本質に触れたように感じられるのだ。
おわりに晋が自身の著作で引用した一節を私も引いて、この長い長い旅の締めくくりとしたい。
『蝶は迫ってくる死にいささかもうろたえない。自分が生まれてきた目的ははたし終わった。
そして今やただひとつの目的は死ぬことにある。だから、トウモロコシの茎の上で、太陽の最後のむくもりを浴びながら待っているのだ。』(フォレスト・カーター「リトル・トリー」)」

いったいどうすれば、このような境地にたどりつけるのでしょう?

今朝、ある男性をご自宅で看取りました。
その方は、急に深刻な病気の末期状態と宣告されてしまいます。
あまりの急な病状変化にその方は耐えられません。
その方のご自宅へ伺い、ベッドサイドでその方の心の叫びをお聞きするたびに、私自身の無力さをひしひしと感じて日々は過ぎました。
そして最期の時は訪れてしまいました。
看取りの後、帰ろうとした私に娘さんがお声をかけてくださいました。
「数日前、父は『ありがとう、ありがとう』と何度も言ってくれました」と。






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アスハルトと海辺の砂浜

2022/06/26 Sun 21:15

『生活があって人生のない一生ほどわびしいものはない』遠藤周作
私の好きな作家に遠藤周作がいます。(私と同姓ということで好きなわけではないですが)
遠藤周作によれば「生活」は役に立つこと。「人生」は役に立たぬこと。
そう思うと、私は生活ばかりを追い求めています。
いったい、いつになったら人生を考え始めるのでしょうか?
私みたいに唯物的な人間には「人生」を考えることは不可能なのでしょうか?

たんぽぽ診療所にはいろいろな人が訪れますが、皆さん様々な病いとともにおいでくださいます。
その方々のお話を伺いながら、「人生」とはこの方々が今、歩んでおられる道を言うのではないかと感じています。

昨年、遠藤周作没後25年に新しい原稿が発見されました。
「影に対して」
遠藤周作があまりに身近なことを書いたので、出版されなかったのではないかと推測されている作品です。
その中に
「あなたは海辺の砂浜を歩くのか、アスファルトの道を歩くのか?
アスファルトの道は安全だけれど、振り返っても足跡が残っていない。砂浜は歩きにくいけれど足跡が残る。」という一文があります。
やはり私は楽なアスハルトの道を追い求めてしまいます。
しかし、たんぽぽ診療所に、私の前に、現れてくださる方々の中には、海辺の砂浜を歩かざるを得なくなった方がいらっしゃいます。
一歩一歩前に進むのが大変で、途中で倒れてしまい、立ち上がることさえ苦しい方々がいらっしゃいます。

本当に生きている方々。


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リメンバー・ミー

2022/02/02 Wed 19:43

「人間は二度死にます。まず死んだ時。それから忘れられた時。」という言葉を以前聞きました。

癌の末期の男性をご自宅で看取りました。
奥様と娘様が献身的に看病されました。
病状が日に日に悪化していく中で、ある日曜日に、心配で昼間、ご自宅にお伺いしました。
口から喉が乾燥してしまっていたので、娘様に「口元の加湿器があるといいと思いますよ」とお話ししました。

その日の夜、携帯が鳴って、ご自宅に駆け付け、その方を看取りました。
看取った後、娘様が「先生にすすめられた加湿器をすぐ購入したら、父はとても息づかいが楽になりました。」と涙ながらにお話ししてくださいました。

「リメンバーミー」という映画があります。
メキシコ等で行われる「死者の日」をテーマにした作品。

ちょうどこの看取りの日曜日、家族で見ていました。
夜の往診から帰った後、もう一度、その途中から見ると、最後に主人公ミゲルがこの世から去り行く曾祖母に
「リメンバー・ミー  お別れだけど  リメンバー・ミー  忘れないで
たとえ離れても  心ひとつ  おまえを想い唄うこの歌…」
とギターを弾きながら歌います。

「人間は二度死にます。まず死んだ時。それから忘れられた時。」

この娘様は、きっと、お父様のことをいつまでも忘れないでしょう。
忘れない…。

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