人類連帯感

2019/10/13 Sun 09:52

 台風19号の接近する中、往診に呼ばれました。
病いの父親を本当によく娘さんが看病しておられました。訪問看護師さんが先に駆け付けてくださり、娘さんが涙を流す中、最期の時がありました。
「こんな辛いことがなぜあるんだろう…」
いつも自問自答する瞬間です。
「もうこのような仕事嫌だな~」と思っても続けているのはなぜだろう…。
懸命に看病する娘さん、いつも患者さんの傍にいて、本当に頑張っている訪問看護師さん…
この方々との連帯感を忘れたら、私がダメになってしまうと、心のどこかで感じているからでしょうか。

私の愛読書「生きがいについて」にこんな文章があります。

「人類連帯感」が、多くの危機的状況にあるひとの心に浮かびあがるのは、考えてみればふしぎなことである。
結局、人間の心は奥深いところで、ユングのいうような「集合的無意識」によってつながっているのであろうか。
人間が人間としての生存をおびやかされるような事態におかれるとき、
このつながりが意識の表面に浮かびあがって来てひとをしっかりと支えるのであろうか。
                                  (神谷美恵子著「生きがいについて」p195)
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私よりお若い方に関わらせていただけました。
病いは重く、看病するご家族は本当に悲しそうでした。

ご自宅にお伺いすると、ご本人は静かに休まれており、あまり言葉を語られません。
私は「死を前にしてなぜこれほどまで穏やかにいられるのだろう」と、この方にぜひ学びたいと強く思っていました。
しかし
伺うごとに病状が悪化し、そのお心の内をお聞きする間もなく最期の時がやってきてしまいました。
看取りの時、ご家族の悲しみは、近くにいる私にもひしひしと伝わってきて、こちらも何も言葉がありません。

翌日、
たんぽぽ診療所で、診察を始めたとき、通院してきてくださるお一人お一人が輝い て見えました。
「今、生きている」ということの大切さをやっと私が学ぶことができたのでしょうか…

「死を背景にしてこそ生の意味はあざやかになる」
この方が、わたしにお教えくださったことです。
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誰もいない海

2019/09/08 Sun 17:28

 先日、往診に向かう途中の車の中で、ラジオから「誰もいない海」が流れてきました。

「今はもう秋 誰もいない海
知らん顔して 人がゆき過ぎても
私は忘れない 海に約束したから
つらくても つらくても
死にはしないと」

先ほど、ご高齢の女性をご自宅で看取りました。
ご主人様と娘様が本当に献身的に看病されました。
ここ数日、病状が悪くなったとき、ご主人様に何と伝えようと悩みながらお伺いすると、
何も言い出せない私に向かってご主人様が「もうだめかね」と深い悲しみを込めてつぶやかれました。
私はそれに黙ってうなづくしかありませんでした。

そして今日、最期の時がやって来てしまいました。
死亡の確認をした後、ご主人様が、深い悲しみの中からむせび泣いています。
娘様も、そのご主人様を見て涙を流しています。
そして…ご自宅、住み慣れた家自体が、悲しみに包まれています。
(家自体が、住む人が亡くなられたことを、悲しんでいると思うのは、私の錯覚でしょうか…)

「誰もいない海」は次のような歌詞で終わります。

「今はもう秋 誰もいない海
いとしい面影(おもかげ) 帰らなくても
私は忘れない 空に約束したから
ひとりでも ひとりでも
死にはしないと」
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添い寝

2019/07/15 Mon 14:18

 まだお若い男性をご自宅で看取りました。
病いが進行している中で、ご自宅にお伺いすると
「今日は孫娘が来るんだ。試しにクッキー作ってみたから先生食べてみてよ」と
男性が作るクッキーとは思えないほどおいしいクッキーをいただきました。
(お体の調子が悪い中、このクッキーを作るのがどれ程大変だったか…
でもそれほどに孫娘さんがおいでくださるのが嬉しかったのでしょう。)

この男性の奥様は、本当によく看病されました。
本当に…

最期の時、奥様はベッドで亡くなるご主人様に添い寝して看取られました。
「死を生きた人びと」(小堀鴎一郎著)に次のような文章があります。
「最期の別れに医者は邪魔だなと腰を上げた。
数分後に戻ると六畳間のベッドで添い寝し、
父親を交互に抱きしめる家族の風景が目の前にあった。」


この男性の通夜は昨日、今日は荼毘にふされました。

私がいつも読み継いでいるコトバがあります。
「彼らのからだは切きざまれ、焼かれはした。しかしそれは皆もとの元素になって、
大自然の中にかえって行ったにちがいない。
松の木の間をわたって来る風の中にもそれは舞っていることだろう。
木と草の下でしずまりかえっているこの島の土の中にもそれはしみこんでいるだろう。
そして死者の生きた足跡は、
歴史を通して無形のうちに私たちの生に働きかけているのだと思う。」
              (「万霊山にて」  神谷美恵子「人間をみつめて」より)


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永遠の世界での新しき邂逅

2019/06/15 Sat 22:44

 犬吠埼の南の海上で海難事故がありました。テレビでそのニュースを何気なく見ていた私は、亡くなられた方の名前を見た時、自分の目を疑いました。私の知っている方のお名前だったのです。ご夫妻でたんぽぽ診療所におかかりで、奥様は本当にステキな方です。ご主人様は、外観は「海の男」そのもので、屈強なお体をされています。(もちろんお体は丈夫なので、風邪をひかれて当院にかかられるのも滅多にありませんでした。)しかしお人柄は本当に穏やかで、ニコッと笑われるお顔がとても素晴らしく私が尊敬し、また大好きな方です。
その方のお名前を「事故で亡くなられた方…」に見た時、私の眼は画面にくぎ付けになりながら、画面の周囲の視野がどんどん狭まっていくのを感じていました。「なぜなぜなぜ…」と私の心の中で、私が叫び続けています。
翌日、同姓同名の人違いであってくれたら…と思いつつ、ご自宅を訪ねると、初対面の息子様が玄関に出てくださり、私が「昨日、ニュースを見て、もしやと…」と言いかけると、悲しそうに頷かれました。そのあと、奥様がお出で下さり、居間にお帰りになっているご主人様のご遺体に会わせてくださいました…。

今、私が読んでいる本に次のようなコトバがありました。
「愛する者と死別する。それは永遠の別離ではなく、むしろ、けっして消え去ることのない永遠の世界での新しき邂逅の幕開けではないだろうか。」
(若松英輔著「種まく人」p66)



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