東口髙志先生

2019/02/03 Sun 06:42

 昨日静岡緩和ケア研究会が開催され特別講師に藤田医科大学外科緩和医療学講座教授の東口先生がおいでくださりました。
「いきいきと生き幸せに逝く」と題してお話をしてくださいました。お話の内容もステキでしたが、何より東口先生のお人柄に感銘を受けて拝聴していました。翌日の今朝でも東口先生のご人格の暖かさが私の心に残っていてこのブログを書いています。
(私はお風呂が大好きなのですが、自宅の風呂ではその場限りの気持ちよさですが、温泉に入ると翌日までなんだか体がポカポカしていて心地よいです…東口先生、お風呂に例えてスミマセン…)
「いきいき生きて幸せに逝く」
また新たな宿題を頂けました。
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悲しみの先に希望を描いた

2019/01/19 Sat 22:40

 今日の新聞に新美南吉のことが載っていました。新美南吉は「ごんぎつね」などでご存知の方が多いでしょう。私はさらに美智子皇后様がご愛読という、やはり新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」も大好きです。次のようなお話です。
「ある日、でんでん虫は、自分が背負う殻が悲しみでいっぱいになっていることに気がつく。不安にかられ、友を 訪れ、悲しみのあまりもう生きていけないのではないかと語る。すると友達も、いや、君だけではない。自分も同じなんだという。その後もでんでん虫は、つぎつぎと友のもとを訪れ、内心を語るが、かえってくる声は同じだった。でんでん虫はようやく、悲しみを持たない者はどこにもいない事に気がつく。むしろ、生きるとは自分の悲しみを背負うことと同じであることを知る。」
この「でんでんむしのかなしみ」は、2015年の美智子皇后様のお誕生日に発せられたお言葉「この世に悲しみを負って生きている人がどれ程多く、その人たちにとり、死者は別れた後も長く共に生きている人々であることを、改めて深く考えさせられた一年でした。」の背景になっていると思います。
新美南吉は29歳という若さで喉頭結核で亡くなりますが、亡くなる8か月前に次のような文章を書き残しています。
「よのつねの喜びかなしみのかなたに、ひとしれぬ美しいもののあるを知っているかなしみ。そのかなしみを生涯うたいつづけた」

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開院記念日

2019/01/14 Mon 21:39

 たんぽぽ診療所は間もなく開院13年目を迎えます。
13年前、開院当初より当院にかかりつけであった方がいます。
ご高齢ということもあり、高血圧の治療をしていましたが、ここ数年は、100歳近くになり通院もご家族の介助が無くては大変でした。
「在宅診療にいたしましょうか?」とお聞きすると、その方が「最近は外に出るのはたんぽぽ診療所に来る時だけだから、まだまだ通います」とお答えになりました。これはこれでうれしいお言葉で、そのまま通院で診ておりました。しかし昨年の夏からはさすがに通院もできなくなり、在宅診療に切り替えました。そしてこの冬、間もなく13年目の開院記念日というとき、静かにご逝去されました。看取りの時、周りの方は、ご年齢から「大往生だ」とおっしゃっておられましたが、私は、この13年間のこの方との思い出があふれてきて言葉がありませんでした。
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一年の計は元旦にあり

2019/01/01 Tue 23:35

明けましておめでとうございます。
2019年元旦です。
今年は日記をつけようと思い、このような題にしてみました。
(しかし三日坊主で終わらないように…)

昨年終わり頃より、私が高校生から医学生だったころつけていた日記を三十数年ぶりに読み返しました。そこには「自分に何も頼るものが無くなっても、それでも幸せを感じることができたら…」という文章が何度も書かれています。医学部の学生だった頃、金はなく、不安定で、悩みごとばかりだった…(今も悩んでばかりですが…)。そんな時「自分に何も頼るものが無くなっても、それでも幸せを感じることができたら…」という願望が生まれました。そして「自分に何も頼るものが無い」というのは「死ぬ時だろう」と思い、出来立ての聖隷三方ヶ原ホスピスに勉強に行ったりしました。確かに金もなく、不安定な日々でしたが、精神的にはとても豊かだったような気が当時の日記を読みながら感じます。(当時、恩師の先生から「自分の車を磨くなら、自分の心を磨きなさい」と言われ、車を持てなかった私は、かえってこの言葉に救われました…医学部のあった山梨は車がないと生活が不便で、同級生の多くが車を持っていました。)今回日記をまたつけようと思ったのは、今一度、自分の心、魂を磨きたいと思ったからです。
三日坊主にならないように、三日に一度か週に一度でも書いていこうと思っています。
よろしかったら皆さんもご一緒に「心・魂を磨きませんか?」
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 今年も数日で終わろうとしています。
本当に今年も皆様に大変お世話になりました。
ありがとうございました。

日々、診察を通して「悲しみに『ついて』知ると悲しみ『を』知る」ということを感じ続けています。
私は医師として多くの病いについて学ばせていただき、知識はたくさん持っているかもしれません。
しかし、毎日毎日、私の前においでくださり、自らの悲しみ、苦しみ、病いを語る方々は「悲しみ『を』知っている」と思います。

ある高齢の方を看取りました。
ご自宅ではお商売を営んでおられ、その方は2代目。現在は3代目である息子さんが継いでおられます。
病状が悪化する中、朝、お伺いすると、もう一両日かと…
息子さんは、商売は昼までやり、夕方からはさすがに休みますと。
(お父様の看病に専念したいのでしょう)
しかしお昼に息を引き取られました。
臨終の場面に急行すると、息子さんは辛そうにお仕事をしながら、到着した私に「先生、すみません」と。

この文章では、私の拙い表現力では、お伝え出来ない息子さんの悲しみがあふれていて…。

ケアを提供する側は、「悲しみに『ついて』」の立場。
ケアを受ける人は、「悲しみ『を』」の立場。いや、悲しみそのものの中にいる…
このギャップを痛いほど感じた1年でした。

また来年からも、この「本当の悲しみの中に生きている方々」から学び続けていきたいです。

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