死に触れる人々

2019/06/04 Tue 22:05

 私の友人、太田宏人さんが亡くなって1年が経ちました。太田さんは「死に触れる人々」という連載を書いておられました。私への取材のご依頼をいただいた時のメールが残っています。

「死に触れる人々」次回に、遠藤先生のことを書かせていただければと考えております。
おもえば、初めて先生にお会いし、済生会病院へお邪魔したのは2005年のことでした。先日、友人ががんになりまして、やはり、「死」について本人の身になって考えることはじつは不可能だということを痛感いたしました。この連載を始めたときは、記号や情報としてカウントされたり、(商品化され)葬送ルーチンワークの中で処理されていく死、学者やジャーナリストを称する頭のいい人たちが論じる死、そういったものではなく、皮膚感覚を伴う死、嗅覚や、特に触覚を伴う死を読む人に伝えることを意図していました。死の意味を、生の意味を伴う死を、という気持ちでした。しかし、道は半ばです。友人が死ぬかもしれないという可能性に直面するだけで、揺らいでしまう自分がいます。ここは原点に帰り、遠藤先生にお話を伺いたいと思った次第です。

皮膚感覚を伴い死…
昨日読んだ本に次のような文章がありました。「意識に刻まれた記憶は、儚い。時の経過とともに消えゆくのかもしれない。しかし「皮膚」に刻まれた記憶は違う。それは意識とは別な、さらに深い場所で生き続ける・・・」(若松英輔「臨在する者」)

明日の夜、ある学びの会で太田さんのことをお話してきます。
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