悲しみの空間

2019/03/24 Sun 12:43

 病いの人、看病するご家族、そして住み慣れた家までもが、「悲しみの空間」を醸し出している。いや「悲しみ」そのものになっているといつも往診をしながら感じています。
病院で看取りをしていたころは何かが違った。お医者さんも看護師さんも大勢いた。医療機械も整っていた。しかし「悲しみの空間」が違った。病いの人も、ご家族も、病院という他人の空間で「本当の悲しみ」を表出できずにいた。住み慣れた家の悲しみが無かった。
お医者さんも看護師さんも精一杯ケアしたが、ほかの患者さんに会えば、無理にでも笑顔を作らなけらばならなかった。何よりも、病いの人、そのご家族にとって人生の一大事が、病院では日常の出来事だった。
私の人生の書「生きがいについて」に次のような言葉があります。

「周囲の人が死病にかかったり、死んだりしても、
よほど身近な人でないかぎり、軽くやりすごしてしまう。
葬式の後または通夜の席上、人々が思いのほか愉快そうに飲み食いし、
歓談する光景はそう珍しいものではない。

その中で、
故人の存在にすべてを賭けていた者は、
心の一番深い所に死の痛手を負い、
一人ひそかに呻き続ける。」
         
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