ある日、出勤中に古くからの親友に出会いました。
聞けば、駅からずっと歩いてきたと・・・
「昨日は親父の命日でね・・・飲み過ぎちゃった」
「酒を抜くために、歩いているの」と。

 2年半前、私の父が癌とわかり、苦しんでいた時、ある人から「歳だからしょうがないよな」と言われ、無性に腹が立ちました。
その時、ここ数年間に、私の親友が相次いで父親を喪っていたのを思い出し、その親友達に会いに行きました。
親友達からは聞いた言葉は、
「(父を)喪い数年たったけど、父のことを思わない日はない」
「(父を)喪ったことは、腹の中がひっくり返るような経験」
「数年たったけどまだ受け入れられない」
この言葉を聞いて、私のこの苦しみがなくなったわけではないのですが、「悲しみを慰めてくれるのは、悲しみの中にある人」というのを痛感しました。
この親友はその一人です。
私より、お父様を喪ってからの年月は長くなっていますが、「昨日は親父の命日でね・・・」のコトバは、私に心深く入ってきてくれました。
「悲しみは亡き人の訪れ」
その親友も、悲しみの扉から亡きお父様が訪れているのでしょう・・・

親しき友というのは、ただの遊び友達ではない。
心深く入ってきてくれるコトバを語ってくれる人・・・
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