永遠の世界での新しき邂逅
2019/06/15 Sat 22:44
犬吠埼の南の海上で海難事故がありました。テレビでそのニュースを何気なく見ていた私は、亡くなられた方の名前を見た時、自分の目を疑いました。私の知っている方のお名前だったのです。ご夫妻でたんぽぽ診療所におかかりで、奥様は本当にステキな方です。ご主人様は、外観は「海の男」そのもので、屈強なお体をされています。(もちろんお体は丈夫なので、風邪をひかれて当院にかかられるのも滅多にありませんでした。)しかしお人柄は本当に穏やかで、ニコッと笑われるお顔がとても素晴らしく私が尊敬し、また大好きな方です。
その方のお名前を「事故で亡くなられた方…」に見た時、私の眼は画面にくぎ付けになりながら、画面の周囲の視野がどんどん狭まっていくのを感じていました。「なぜなぜなぜ…」と私の心の中で、私が叫び続けています。
翌日、同姓同名の人違いであってくれたら…と思いつつ、ご自宅を訪ねると、初対面の息子様が玄関に出てくださり、私が「昨日、ニュースを見て、もしやと…」と言いかけると、悲しそうに頷かれました。そのあと、奥様がお出で下さり、居間にお帰りになっているご主人様のご遺体に会わせてくださいました…。
今、私が読んでいる本に次のようなコトバがありました。
「愛する者と死別する。それは永遠の別離ではなく、むしろ、けっして消え去ることのない永遠の世界での新しき邂逅の幕開けではないだろうか。」
(若松英輔著「種まく人」p66)
その方のお名前を「事故で亡くなられた方…」に見た時、私の眼は画面にくぎ付けになりながら、画面の周囲の視野がどんどん狭まっていくのを感じていました。「なぜなぜなぜ…」と私の心の中で、私が叫び続けています。
翌日、同姓同名の人違いであってくれたら…と思いつつ、ご自宅を訪ねると、初対面の息子様が玄関に出てくださり、私が「昨日、ニュースを見て、もしやと…」と言いかけると、悲しそうに頷かれました。そのあと、奥様がお出で下さり、居間にお帰りになっているご主人様のご遺体に会わせてくださいました…。
今、私が読んでいる本に次のようなコトバがありました。
「愛する者と死別する。それは永遠の別離ではなく、むしろ、けっして消え去ることのない永遠の世界での新しき邂逅の幕開けではないだろうか。」
(若松英輔著「種まく人」p66)
死に触れる人々
2019/06/04 Tue 22:05
私の友人、太田宏人さんが亡くなって1年が経ちました。太田さんは「死に触れる人々」という連載を書いておられました。私への取材のご依頼をいただいた時のメールが残っています。
「死に触れる人々」次回に、遠藤先生のことを書かせていただければと考えております。
おもえば、初めて先生にお会いし、済生会病院へお邪魔したのは2005年のことでした。先日、友人ががんになりまして、やはり、「死」について本人の身になって考えることはじつは不可能だということを痛感いたしました。この連載を始めたときは、記号や情報としてカウントされたり、(商品化され)葬送ルーチンワークの中で処理されていく死、学者やジャーナリストを称する頭のいい人たちが論じる死、そういったものではなく、皮膚感覚を伴う死、嗅覚や、特に触覚を伴う死を読む人に伝えることを意図していました。死の意味を、生の意味を伴う死を、という気持ちでした。しかし、道は半ばです。友人が死ぬかもしれないという可能性に直面するだけで、揺らいでしまう自分がいます。ここは原点に帰り、遠藤先生にお話を伺いたいと思った次第です。
皮膚感覚を伴い死…
昨日読んだ本に次のような文章がありました。「意識に刻まれた記憶は、儚い。時の経過とともに消えゆくのかもしれない。しかし「皮膚」に刻まれた記憶は違う。それは意識とは別な、さらに深い場所で生き続ける・・・」(若松英輔「臨在する者」)
明日の夜、ある学びの会で太田さんのことをお話してきます。
「死に触れる人々」次回に、遠藤先生のことを書かせていただければと考えております。
おもえば、初めて先生にお会いし、済生会病院へお邪魔したのは2005年のことでした。先日、友人ががんになりまして、やはり、「死」について本人の身になって考えることはじつは不可能だということを痛感いたしました。この連載を始めたときは、記号や情報としてカウントされたり、(商品化され)葬送ルーチンワークの中で処理されていく死、学者やジャーナリストを称する頭のいい人たちが論じる死、そういったものではなく、皮膚感覚を伴う死、嗅覚や、特に触覚を伴う死を読む人に伝えることを意図していました。死の意味を、生の意味を伴う死を、という気持ちでした。しかし、道は半ばです。友人が死ぬかもしれないという可能性に直面するだけで、揺らいでしまう自分がいます。ここは原点に帰り、遠藤先生にお話を伺いたいと思った次第です。
皮膚感覚を伴い死…
昨日読んだ本に次のような文章がありました。「意識に刻まれた記憶は、儚い。時の経過とともに消えゆくのかもしれない。しかし「皮膚」に刻まれた記憶は違う。それは意識とは別な、さらに深い場所で生き続ける・・・」(若松英輔「臨在する者」)
明日の夜、ある学びの会で太田さんのことをお話してきます。
| HOME |