悲しみの空間(続編)

2019/03/24 Sun 21:46

 「死を生きた人びと」(小堀鷗一郎著)という本があります。ご自宅で小堀先生が看取りをされていく本ですが、その中で小堀先生が引用されている文章に「最期の別れに医者は邪魔だな」というコトバがあります。

先ほどある男性を看取りました。癌の末期で、奥様が本当によく看病されていました。看取りに往診した時、その奥様が悲しみの底に沈みながら、涙をひたすらこらえ、私やご親族に対応しているお姿が痛々しくてなりませんでした。

この前のブログで書いた「悲しみの空間」・・・考えさせられました。

今一度「生きがいについて」の文章を載せさせてください。

「周囲の人が死病にかかったり、死んだりしても、
よほど身近な人でないかぎり、軽くやりすごしてしまう。
葬式の後または通夜の席上、人々が思いのほか愉快そうに飲み食いし、
歓談する光景はそう珍しいものではない。

その中で、
故人の存在にすべてを賭けていた者は、
心の一番深い所に死の痛手を負い、
一人ひそかに呻き続ける。」

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悲しみの空間

2019/03/24 Sun 12:43

 病いの人、看病するご家族、そして住み慣れた家までもが、「悲しみの空間」を醸し出している。いや「悲しみ」そのものになっているといつも往診をしながら感じています。
病院で看取りをしていたころは何かが違った。お医者さんも看護師さんも大勢いた。医療機械も整っていた。しかし「悲しみの空間」が違った。病いの人も、ご家族も、病院という他人の空間で「本当の悲しみ」を表出できずにいた。住み慣れた家の悲しみが無かった。
お医者さんも看護師さんも精一杯ケアしたが、ほかの患者さんに会えば、無理にでも笑顔を作らなけらばならなかった。何よりも、病いの人、そのご家族にとって人生の一大事が、病院では日常の出来事だった。
私の人生の書「生きがいについて」に次のような言葉があります。

「周囲の人が死病にかかったり、死んだりしても、
よほど身近な人でないかぎり、軽くやりすごしてしまう。
葬式の後または通夜の席上、人々が思いのほか愉快そうに飲み食いし、
歓談する光景はそう珍しいものではない。

その中で、
故人の存在にすべてを賭けていた者は、
心の一番深い所に死の痛手を負い、
一人ひそかに呻き続ける。」
         
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山岡泰治先生

2019/03/15 Fri 22:07

 3月中旬となり卒業、進学の知らせがいろいろなところから届き、新たな道を歩み始める方々にエールを送っています。
そんな中、私が大変尊敬する、そして敬愛する浜松医科大学地域医療学講座の山岡泰治教授からこの3月で御退官されるお手紙をいただきました。山岡先生から昨年お会いした時にご定年であることはお聞きしていましたが、実際お手紙を拝読すると、何とも言えない気持ちに襲われました。山岡先生には地域医療を地域の人々ともに考えるというスタンスを教えていただき、また幾度も先生の主催の学びの会にお招きいただきました。そのたびに、深い知識・見識をお持ちの山岡先生が身を低くして私のようなものに接してくださる姿勢に敬服しておりました。またご年齢もちょうど私の兄のようなポジションで、兄貴分の先生と敬愛しておりました。幸い御退官後も静岡県にとどまってくださり、静岡県の地域医療を育む御活動をしてくださるとのこと。これからも山岡先生に学び続けてまいりたいです。
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