世話になったな…

2018/04/04 Wed 16:32

 先日、往診中に「先生、以前は世話になったな」と声をかけていただけました。
昨年、入院中のご高齢の女性を、どうしても自宅で看取りたいからと依頼を受け、
ご自宅で看取らせていただいた方の息子さんでした。
息子さんは 「まだ、しょっちゅう、墓に行っている」とボソリとおっしゃられました。

「看取り先生の遺言」という本があります。
静岡県立総合病院に呼吸器外科を開き、その後故郷の東北で緩和ケアをなさった岡部健先生が、
自ら癌になられ、60歳で亡くなられました。岡部先生のお言葉の本がこの「看取り先生の遺言」です。
その中に次のような文章があります。
「長い間、緩和ケアという仕事をやってきていながら、いざ自分が癌患者に なってみると、どのように闇に降りていけばいいのか、その道しるべが全くないことに愕然としたのである。痛みをとる治療や心のケアや、生きる事ばかりで、死に逝く人の道しるべが無い。見送る先があってこそ緩和ケアなのに、闇に降りていく道しるべを示せなければ、本当の意味の緩和ケアなどできないのではないか。」

「道しるべ」
探していきたいです。
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今朝の新聞に、次のような文章をみました。

「 【三つ目の耳を持ち、彼ら(患者たち)が言っていることでなく、言わないでいること(言えないでいること)を聴きなさい。】(ジョアン:緩和ケア専任ナース)
英国のホスピスで「死を支える」ことの意味についてナースはこう述べた。
苦しみは何より忘れたいもの、消したいもの、語るのが辛いもの。だから、苦しむ人のその引きこもりごと聴かねばならない。これは「生を支える」場面でも言えること。」

この記事を読んで、私の大好きな詩人、星野富弘さんの詩(たんぽぽ診療所の語源も、この星野さんの「たんぽぽ」という詩からです)に「二番目に言いたいことしか」を思い出しました。
「二番目に言いたいことしか  人には 言えない
  一番言いたいことが  言えないもどかしさに耐えられないから
  絵を書くのかも知れない  うたをうたうのかも知れない
  それが言えるような気がして  人が恋しいのかも知れない」   星野富弘『風の旅』より

私が癌の末期の、まだお若い方の往診に伺った時、
ちょっとご家族が席をはずした隙に、
ご本人が「もう、生きているのが辛いから、辛いから…」と涙ながらに何度も繰り返されたのが忘れられません。

「人に言えないこと」
私の心にも…。そして、どの方の心にも…。
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