大切な人を亡くされた方が、荼毘にふされた遺骨をみて「あの人は私の中で生きている」と強く感じたとお聞きしました。
ちょうどその数日後、新聞に次の文章を見つけました。
「死の翳は生と対立するものではない。もし人が死ねないとしたら人生はなんと疎ましいものになるか。たしかに人の死とともに亡骸は腐りゆく。が、亡き人の「面影」は人びとの中で生き続ける。消え去ったものとしてではなく。残された者に、折にふれて生の意味を問いかけるものとして。」

〈死を背景にしてこそ生の意味はあざやかになる〉
〈「死の相のもとに」人生をみる〉
10/21(土)藤枝市藤の瀬会館にて
10/24(火)清水区有度にて
この二つのキー ワードとしてお話をします。
未分類 | コメント(0)

生き方=逝き方

2017/09/19 Tue 21:00

先日、講演をお願いされた時に、「生き方=逝き方」という話をさせていただきました。
緩和ケアの業界でも「人は生きてきたように死んでいく」という言葉がありますし、
私が大変尊敬する日野原重明先生の名著「生き方上手」はもともと「死に方上手」という題名だったとお聞きしました。
(日野原先生は「死に方上手」としたのですが、出版社が「死に方上手」では本が売れないから「生き方上手」にしたようです。
日野原先生も「生き方=死に方」とお考えになりご同意されたと)

昨年お亡くなりになった永六輔さんの詩に「生きているということは」というのがあります。
「生 きているということは、誰かに借りをつくること
 生きていくということは、その借りを返してゆくということ」

本当に深く、厳しい詩だと感じています。
しかし「生き方=逝き方」の「生き方」は「生きていく」ということですよね。
未分類 | コメント(0)
 | HOME |