ある日、出勤中に古くからの親友に出会いました。
聞けば、駅からずっと歩いてきたと・・・
「昨日は親父の命日でね・・・飲み過ぎちゃった」
「酒を抜くために、歩いているの」と。

 2年半前、私の父が癌とわかり、苦しんでいた時、ある人から「歳だからしょうがないよな」と言われ、無性に腹が立ちました。
その時、ここ数年間に、私の親友が相次いで父親を喪っていたのを思い出し、その親友達に会いに行きました。
親友達からは聞いた言葉は、
「(父を)喪い数年たったけど、父のことを思わない日はない」
「(父を)喪ったことは、腹の中がひっくり返るような経験」
「数年たったけどまだ受け入れられない」
この言葉を聞いて、私のこの苦しみがなくなったわけではないのですが、「悲しみを慰めてくれるのは、悲しみの中にある人」というのを痛感しました。
この親友はその一人です。
私より、お父様を喪ってからの年月は長くなっていますが、「昨日は親父の命日でね・・・」のコトバは、私に心深く入ってきてくれました。
「悲しみは亡き人の訪れ」
その親友も、悲しみの扉から亡きお父様が訪れているのでしょう・・・

親しき友というのは、ただの遊び友達ではない。
心深く入ってきてくれるコトバを語ってくれる人・・・
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真に拠り所となる他者

2018/07/04 Wed 17:48

 このブログをお読みくださっている方から、「6月はブログの更新がない…」と私をご心配くださるお言葉をいただけました。本当にうれしかったです。またご心配おかけしてすみませんでした。6月はちょっと勉強会などがいくつかあり、その準備でブログが滞ってしまったこともありますが、5月の最終に書かせていただいた、わが友太田宏人さんの逝去も私に響いています。ふとした時に「太田さん、どんな気持ちだったのかな~」とか「太田さん、今どこにいるのかな~」と思っています…。

 6/2(土)に静岡サイコオンコロジー研究会で山崎章郎先生をお招きしました。「病院で死ぬということ」という本を著され、現在緩和ケアの日本の第一人者であられます。その山崎先生が「真に拠り所となる他者」というコトバを教えてくださりました。私にとって「真に拠り所となる他者」は誰なのか…。まがいものの、拠り所のふりをしているものはたくさんあります…。

 こんなことを考え感じている間に、看取らせていただいた方もいます。今、臨終の時にいる方もいます。一見、絶望的な状況で、一般の人からは全く振り向かれない状況の中で、社会からは遠のいてしまった中で、その中でも「真に拠り所となる他者」は誰でしょう?
わが友、太田宏人さんの次の文章をぜひお読みいただければ幸いです。
「いのちおわるときに」http://www.shukatusodan.com/skdiary/012/04.html
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畏友 太田宏人

2018/05/29 Tue 22:37

 先日、友人が亡くなりました。次のような訃報が届きました。

「長い間闘病されていた太田宏人さんが48歳で亡くなられました。仏教系のライターとして、東日本大震災の支援を機に出家なさって臨床宗教師、内観療法者、終活カウンセラーなど幅広く活躍されていました。太田さんの支援活動は常に手の行き届かないところに手を伸ばすというものでした。3.11直後支援も入らず瓦礫と遺体が放置されていたいわきへほぼ裸一貫バイクで向かい、被爆を厭わず回収作業傍ら現地からSOSを発信されました。女川町出島では、お寺がいち早く避難してしまい途方に暮れていた高齢者の精神的支援を行い、その風貌からお坊さんと間違われたことから発心され、ほんとうの縁によって曹洞宗の僧侶となられました。
熊本の震災では、誰も手を出そうとしなかった避難所のトイレ掃除を毎回一心に行われ、その活動を知る多くの者に感銘を与え、「トイレの仏様」として尊敬される日本では全く稀有なお坊さんとなられました。
太田さんの闘病は、2014年、被爆の影響を考えざるを得ない胸腺腫という稀な癌になられたことに始まります。しかし病状は既に進行しておりいろんな化学療法を試みられましたが、約半年間の入院闘病の末、息を引き取られました。」

 私と太田さんとのご縁は10年以上にわたり、私の事を本に書いてくださったり、太田さんの連載物に取り上げてくださったり…。なにより、私が父の看病でどん底を味わっていた時、私の心の拠り所に太田さんはなってくださいました。

 太田さんの訃報に接した日、私の息子が「友」という歌を口ずさんでいました。次のような歌詞です。
「友 今君が見上げる空は どんな色に見えていますか?
友 さようならそしてありがとう 再び会えるその時まで
同じ空の下 どこかで僕たちは いつも繋がっている…」
あふれ出る涙が止まりませんでした…。
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ファシリティドッグ

2018/05/18 Fri 23:17

「ベイリー、大好き(セラピードッグと小児病院のこどもたち)」という本を読みました。
この本の副題は「セラピードッグ」となっていますが、病院などの同じ施設にずっといて、人々に愛情と安らぎを与える犬の事をファシリティドッグというようです。静岡県立こども病院に2010年よりファシリティドッグとして活躍したベイリーという犬の事を書いた本が「ベイリー、大好き」です。この本にはベイリーのステキな写真と共に次のような文章もあります。(こども病院で働く看護師さんの言葉です)「血液腫瘍化に入院した患者さんのご家族は、病名を告げられると強いショックを受けます。面談室で涙ぐむご両親に、私たも(はげまさなくては)と思うし、逆にご両親も(なにか話さないと)と、お互い気をつかうんですね。でも、そのあとベイリーにきてもらうと、そこからは言葉がなくてもいいんです。ベイリーは、相手のつらい気持ちを受けとめるかのように、ただ見つめて、気持ちに寄り添うようにいる。そうすると、ベイリーを抱きしめて泣いてくれるお母さんもいます。こどもさんの前で泣くわけにいかないので、ここで思い切り泣いてもらったほうがいい。ベイリーは抱きしめるとあったかいので、よけいやすらぐんでしょうね」(p130)「言葉がなくてもいいんです」「抱きしめるとあったかいので」、いずれも悲しみのケアの真髄だと思います。現在はベイリーは神奈川県立こども医療センターにおいて緩和ケアチームの一員として活動をしているようで、静岡県立こども病院には「ヨギ」がいます。ファシリティドッグに会ってみたい!
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別れ

2018/05/06 Sun 06:06

 この連休中に、ある一人の方を看取りました。ご家族もちょうど連休中で、ご主人様、息子さん、娘さんが、付きっ切りで看病をされました。お孫さんたちに囲まれて、一週間早い母の日のお花に見送られるように旅立たれました。最期の診察にお伺いした夜、私は「愛するご家族に囲まれて、穏やかに亡くなられて、これで良かった…??」と複雑な気持ちでした。愛するがゆえに…、大切な人であるほど…、永遠の別れは辛いのではないかと…。きっとそれは、愛する人を喪って、悲しみのあまり私のところにやってきてくださる方々の思いを聴き続けていると、「良い別れ」などというものはないと痛感しているからでしょう。

星野富弘の詩に「別れ」というのがあります。

「あなたが最後に見た季節が また巡って来ました
あれから私は幽霊というものが いてもいいと思うようになりました
できることなら あなたに幽霊になってもらってでも
もう一度 逢いたいのです

父ちゃん
気付くのが少し遅かったけれど 分かりました
詫びることも お礼をいうことも 
出来なくなる別れが あるということを」
       花の詩画集「あなたの手のひら」より
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