この2月にNHKで放映されたドラマに「お別れホスピタル」というのがありました。
ドラマのホームページに
「患者さんや、その家族、そして彼らと関わる医師や看護師の、葛藤や、怒りや、悲しみや、小さな喜びや、笑顔や、素顔の先にあるドラマを通して、「死を迎える」ことと、「生きる」ことの意味を問いかける。 それは、私たちの未来への一筋の光につながっていくはず。」

というコトバに魅かれて4回シリーズを毎回見ておりました。(私の好きな松山ケンイチさんが医師役というのも魅力的で…)
何回かに分けて、このドラマの中でとても感動したコトバを紹介させてください。

〈人が最期に望むものは「希望」だと思う。〉
主人公の看護師さんが、癌の末期の患者さんから「俺どうなっちゃうのかな?」と聞かれ何も答えられず。その患者さんはその後自殺してしまいます。後日、この看護師さんが「その時患者さんに嘘でも何でも言えばよかった…たとえば『サンタさんはいるんですよ』とか」と泣きながら医師に話す場面にこの〈人が最期に望むものは「希望」だと思う。〉とモノローグが流れます。

先日、私よりお若い癌の末期の男性を看取りました。
まだお話ができる頃、「この若さで癌で死ぬのは悔しいけど、母が私を看病してくれる年齢であったのが唯一の救い」と言われていたのが忘れられません。
その後、食べれなくなり、寝たきりになって、母親に本当にいろいろと甘えていました。
亡くなる数日前、眠っている患者さんの横で、お母様は洗濯物をたたみながら「私もいつまで耐えられるか…」とポソリと洩らしました。
最期の時、看取りに伺った私にお母様は「昨夜、息子は私の手を握り、『お母さん、そばにいて』と訴えていたので、ずっと手を握っていました」と私に話してくださいました。

〈人が最期に望むものは「希望」〉

私にとって本当の「希望」は何だろう…。


未分類 | コメント(0)

どん底に大地あり

2023/12/31 Sun 21:06

「どん底に大地あり」は1945年8月9日、長崎に原子爆弾が落とされた時に被爆した永井隆先生のお言葉です。永井先生は長崎大学医学部の医師であられましたが、原子爆弾にて奥様を亡くされ、自らも被爆しながら救護活動に当たられました。そして白血病を発症されます。その後は病室兼書斎の如己堂にお子様と住まわれていました。私は若い頃、永井先生の「この子を残して」を読んでとても感動しました。

私は医学部の学生時代から(思い返せば多分高校生の頃から)、「自分に何も頼るものが無くなっても幸せを感じる心を持てたら、それが本当の幸せだろう」と思い、そのような心を探しています(まだ探求中です)。
この「自分に何も頼るものが無くなる」状況は、「病いの時」であり、その最たるものが「死ぬ時」かもしれないと思い緩和ケアを行っております。

数年前にNHKの朝の連続テレビ小説「エール」で主人公の祐一(モデルは作曲家の古関裕而)は、失意の底にいながら、原爆投下後の長崎で「どん底に大地あり」という言葉に触れ、そこから「希望」を見出し、「長崎の鐘」を完成させます。永井医師をモデルとした役を「エール」で演じた吉岡秀隆さんはインタビューで、「『どん底に大地あり』は、今の世の中にも伝えたいメッセージ」と語っています。
私も朝ドラ「エール」で「どん底に大地あり」という永井先生のお言葉を知りましたが、私がずっと追い求めている「自分に何も頼るものが無くなっても幸せを感じる心」のことかもしれないと感じています。

人は誰でもいつか「どん底」を味わう。いやもしかするとすでに「どん底」にいるのかもしれないのに、それを見ようとも気づこうともあえてしていないのかもしれない。見ないために日常の忙しさや娯楽でごまかしているのかもしれない。
しかし、いつか人生の終わりに味わわなくてはならない。とすれば、その前に「自分に何も頼るものが無くなっても幸せを感じる心」を持てたら…。
新しい年(今年は年男です)が始まります。
この「本当の幸せ」を探してまた一歩一歩みなさまと歩んで参りたいと思います。


未分類 | コメント(0)

愛する人を亡くした時

2023/12/15 Fri 23:03

「愛する人を亡くした時」という本があります。
私が大変尊敬する日野原重明先生も翻訳に関わった名著です。
内容は四つの章から構成されています。

愛児を失うと、親は人生の希望を奪われる
配偶者が亡くなると、ともに生きていくべき現在を失う
親が亡くなると、人は過去を失う
友人が亡くなると、人は自分の一部を失う

先日、私より少しお若い女性の方をご自宅で看取りました。
癌が進行し、これ以上は苦しい治療はしたくないと、私のこのブログを読まれてたんぽぽ診療所に2年ほど前においでくださいました。
当初はご自身でお車を運転されて通院されていましたが、癌が進行するにつれ、通院が困難になってきました。
それでも彼女はお仕事を続けながら懸命に生きておられました。私も必死に緩和ケアに務めました。
しかしご自宅から出ることが難しくなり、在宅診療に切り替えました。

最期の日、お昼にお伺いした私に「先生、ありがとう」と声にならない声で話してくださいました。
そしてその日の夕刻、ご家族に囲まれながら、ご自宅でご逝去されました。

翌日、往診に車を運転していると、彼女のことが思い出され、強い喪失感に襲われました。

「友人が亡くなると、人は自分の一部を失う」(「愛する人を亡くした時」より)

たんぽぽ診療所にお車で通われていたころからのお付き合いなので、「友人」の一人にしていただけるかも。
「友人」として、もっと生きていてほしかった…。


未分類 | コメント(0)

悲しみ

2023/12/02 Sat 23:32

「苦しみは精神の一部しか占めないことが多いが、悲しみは一層生命の基盤にちかいところに根をおき、したがってその影響は肉体と精神全体に広がって行く。」(「生きがいについて」より)

まだ40歳代の女性をご自宅で看取りました。
癌の末期でしたがその病状からは信じられないほど穏やかな方でした。
しかし病気の進行は止まってくれなくて、最期の時が訪れてしまいました。
ご主人様は黙って必死に悲しみに耐えておられます。
お子様は号泣されています。
私はこみあげてくる涙をこらえることができませんでした。

8年前、私が父を看取った時のこと。
冬の朝、父が息を引き取った時、「悲しみ」にすべてが覆いつくされてしまいました。
そしてその夜、父の前で号泣しました。

「ひとたび生きがいをうしなうほどの悲しみを経たひとの心には、消えがたい刻印がきざみつけられている。
それはふだんは意識にのぼらないかもしれないが、
他人の悲しみや苦しみにもすぐ共鳴して鳴り出す弦のような作用を持つのではなかろうか。」(「生きがいについて」より)

未分類 | コメント(0)

宇宙意識

2023/11/12 Sun 22:16

 ご高齢の女性をご自宅で看取りました。
癌の末期で、静岡県立総合病院様でご加療を受けていましたが、ご自宅で最期を迎えたいとたんぽぽ診療所に在宅診療のご依頼をいただけました。県立総合病院ではやはり緩和医療科の岸本寛史先生が関わってくださっていました。岸本先生は私と同世代ですが、私が最も尊敬する先生のお一人です。岸本先生から患者さんのことで「病勢が悪化し、熱も出るようになり、痛みもあったので、オピオイド(医療用麻薬)も開始となって、混乱が見られるようになりました。」と情報がいただけました。確かに私が在宅診療に伺った時は「混乱」しているようなご様子が見られ、頻回にお伺いしました。その頃の岸本先生へのお返事に私は次のように記載しました。「退院当初は先生ご指摘の通り「混乱」のような様子が見られており、御家族を支えようと先週は頻回に伺いました。11/3は祝日でたんぽぽ診療所の外来がないのでゆっくり時間を作って伺いました。でもこの時は全身状態が悪化していて混乱のような言動は見られませんでした。(多くの患者さんに接していると)このような変化を良く経験し、(医者は)「全身状態の悪化」と表現してしまいますが、私個人的には「病状の悪化」に自力で抵抗して何ともうまくいかなく「混乱」していたものが、あきらめて、ゆだねて、生きていかれるようになっているのかな…?などと感じています。」

最近読んだ本に「「個的意識」(私)は「宇宙意識」(ゼロ・ポイント・フィールド)から生まれ、現実世界での生を終えた後、また「宇宙意識」(ゼロ・ポイント・フィールド)へと戻ってゆく。」という箇所がありました。(「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著)
日々、人の最期を看取っていることは、この「宇宙意識」へ戻っていく過程を目撃しているのかもしれない気がしました。



未分類 | コメント(0)
 | HOME | Next »