畏友 太田宏人

2018/05/29 Tue 22:37

 先日、友人が亡くなりました。次のような訃報が届きました。

「長い間闘病されていた太田宏人さんが48歳で亡くなられました。仏教系のライターとして、東日本大震災の支援を機に出家なさって臨床宗教師、内観療法者、終活カウンセラーなど幅広く活躍されていました。太田さんの支援活動は常に手の行き届かないところに手を伸ばすというものでした。3.11直後支援も入らず瓦礫と遺体が放置されていたいわきへほぼ裸一貫バイクで向かい、被爆を厭わず回収作業傍ら現地からSOSを発信されました。女川町出島では、お寺がいち早く避難してしまい途方に暮れていた高齢者の精神的支援を行い、その風貌からお坊さんと間違われたことから発心され、ほんとうの縁によって曹洞宗の僧侶となられました。
熊本の震災では、誰も手を出そうとしなかった避難所のトイレ掃除を毎回一心に行われ、その活動を知る多くの者に感銘を与え、「トイレの仏様」として尊敬される日本では全く稀有なお坊さんとなられました。
太田さんの闘病は、2014年、被爆の影響を考えざるを得ない胸腺腫という稀な癌になられたことに始まります。しかし病状は既に進行しておりいろんな化学療法を試みられましたが、約半年間の入院闘病の末、息を引き取られました。」

 私と太田さんとのご縁は10年以上にわたり、私の事を本に書いてくださったり、太田さんの連載物に取り上げてくださったり…。なにより、私が父の看病でどん底を味わっていた時、私の心の拠り所に太田さんはなってくださいました。

 太田さんの訃報に接した日、私の息子が「友」という歌を口ずさんでいました。次のような歌詞です。
「友 今君が見上げる空は どんな色に見えていますか?
友 さようならそしてありがとう 再び会えるその時まで
同じ空の下 どこかで僕たちは いつも繋がっている…」
あふれ出る涙が止まりませんでした…。
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ファシリティドッグ

2018/05/18 Fri 23:17

「ベイリー、大好き(セラピードッグと小児病院のこどもたち)」という本を読みました。
この本の副題は「セラピードッグ」となっていますが、病院などの同じ施設にずっといて、人々に愛情と安らぎを与える犬の事をファシリティドッグというようです。静岡県立こども病院に2010年よりファシリティドッグとして活躍したベイリーという犬の事を書いた本が「ベイリー、大好き」です。この本にはベイリーのステキな写真と共に次のような文章もあります。(こども病院で働く看護師さんの言葉です)「血液腫瘍化に入院した患者さんのご家族は、病名を告げられると強いショックを受けます。面談室で涙ぐむご両親に、私たも(はげまさなくては)と思うし、逆にご両親も(なにか話さないと)と、お互い気をつかうんですね。でも、そのあとベイリーにきてもらうと、そこからは言葉がなくてもいいんです。ベイリーは、相手のつらい気持ちを受けとめるかのように、ただ見つめて、気持ちに寄り添うようにいる。そうすると、ベイリーを抱きしめて泣いてくれるお母さんもいます。こどもさんの前で泣くわけにいかないので、ここで思い切り泣いてもらったほうがいい。ベイリーは抱きしめるとあったかいので、よけいやすらぐんでしょうね」(p130)「言葉がなくてもいいんです」「抱きしめるとあったかいので」、いずれも悲しみのケアの真髄だと思います。現在はベイリーは神奈川県立こども医療センターにおいて緩和ケアチームの一員として活動をしているようで、静岡県立こども病院には「ヨギ」がいます。ファシリティドッグに会ってみたい!
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別れ

2018/05/06 Sun 06:06

 この連休中に、ある一人の方を看取りました。ご家族もちょうど連休中で、ご主人様、息子さん、娘さんが、付きっ切りで看病をされました。お孫さんたちに囲まれて、一週間早い母の日のお花に見送られるように旅立たれました。最期の診察にお伺いした夜、私は「愛するご家族に囲まれて、穏やかに亡くなられて、これで良かった…??」と複雑な気持ちでした。愛するがゆえに…、大切な人であるほど…、永遠の別れは辛いのではないかと…。きっとそれは、愛する人を喪って、悲しみのあまり私のところにやってきてくださる方々の思いを聴き続けていると、「良い別れ」などというものはないと痛感しているからでしょう。

星野富弘の詩に「別れ」というのがあります。

「あなたが最後に見た季節が また巡って来ました
あれから私は幽霊というものが いてもいいと思うようになりました
できることなら あなたに幽霊になってもらってでも
もう一度 逢いたいのです

父ちゃん
気付くのが少し遅かったけれど 分かりました
詫びることも お礼をいうことも 
出来なくなる別れが あるということを」
       花の詩画集「あなたの手のひら」より
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世話になったな…

2018/04/04 Wed 16:32

 先日、往診中に「先生、以前は世話になったな」と声をかけていただけました。
昨年、入院中のご高齢の女性を、どうしても自宅で看取りたいからと依頼を受け、
ご自宅で看取らせていただいた方の息子さんでした。
息子さんは 「まだ、しょっちゅう、墓に行っている」とボソリとおっしゃられました。

「看取り先生の遺言」という本があります。
静岡県立総合病院に呼吸器外科を開き、その後故郷の東北で緩和ケアをなさった岡部健先生が、
自ら癌になられ、60歳で亡くなられました。岡部先生のお言葉の本がこの「看取り先生の遺言」です。
その中に次のような文章があります。
「長い間、緩和ケアという仕事をやってきていながら、いざ自分が癌患者に なってみると、どのように闇に降りていけばいいのか、その道しるべが全くないことに愕然としたのである。痛みをとる治療や心のケアや、生きる事ばかりで、死に逝く人の道しるべが無い。見送る先があってこそ緩和ケアなのに、闇に降りていく道しるべを示せなければ、本当の意味の緩和ケアなどできないのではないか。」

「道しるべ」
探していきたいです。
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今朝の新聞に、次のような文章をみました。

「 【三つ目の耳を持ち、彼ら(患者たち)が言っていることでなく、言わないでいること(言えないでいること)を聴きなさい。】(ジョアン:緩和ケア専任ナース)
英国のホスピスで「死を支える」ことの意味についてナースはこう述べた。
苦しみは何より忘れたいもの、消したいもの、語るのが辛いもの。だから、苦しむ人のその引きこもりごと聴かねばならない。これは「生を支える」場面でも言えること。」

この記事を読んで、私の大好きな詩人、星野富弘さんの詩(たんぽぽ診療所の語源も、この星野さんの「たんぽぽ」という詩からです)に「二番目に言いたいことしか」を思い出しました。
「二番目に言いたいことしか  人には 言えない
  一番言いたいことが  言えないもどかしさに耐えられないから
  絵を書くのかも知れない  うたをうたうのかも知れない
  それが言えるような気がして  人が恋しいのかも知れない」   星野富弘『風の旅』より

私が癌の末期の、まだお若い方の往診に伺った時、
ちょっとご家族が席をはずした隙に、
ご本人が「もう、生きているのが辛いから、辛いから…」と涙ながらに何度も繰り返されたのが忘れられません。

「人に言えないこと」
私の心にも…。そして、どの方の心にも…。
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