添い寝

2019/07/15 Mon 14:18

 まだお若い男性をご自宅で看取りました。
病いが進行している中で、ご自宅にお伺いすると
「今日は孫娘が来るんだ。試しにクッキー作ってみたから先生食べてみてよ」と
男性が作るクッキーとは思えないほどおいしいクッキーをいただきました。
(お体の調子が悪い中、このクッキーを作るのがどれ程大変だったか…
でもそれほどに孫娘さんがおいでくださるのが嬉しかったのでしょう。)

この男性の奥様は、本当によく看病されました。
本当に…

最期の時、奥様はベッドで亡くなるご主人様に添い寝して看取られました。
「死を生きた人びと」(小堀鴎一郎著)に次のような文章があります。
「最期の別れに医者は邪魔だなと腰を上げた。
数分後に戻ると六畳間のベッドで添い寝し、
父親を交互に抱きしめる家族の風景が目の前にあった。」


この男性の通夜は昨日、今日は荼毘にふされました。

私がいつも読み継いでいるコトバがあります。
「彼らのからだは切きざまれ、焼かれはした。しかしそれは皆もとの元素になって、
大自然の中にかえって行ったにちがいない。
松の木の間をわたって来る風の中にもそれは舞っていることだろう。
木と草の下でしずまりかえっているこの島の土の中にもそれはしみこんでいるだろう。
そして死者の生きた足跡は、
歴史を通して無形のうちに私たちの生に働きかけているのだと思う。」
              (「万霊山にて」  神谷美恵子「人間をみつめて」より)


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永遠の世界での新しき邂逅

2019/06/15 Sat 22:44

 犬吠埼の南の海上で海難事故がありました。テレビでそのニュースを何気なく見ていた私は、亡くなられた方の名前を見た時、自分の目を疑いました。私の知っている方のお名前だったのです。ご夫妻でたんぽぽ診療所におかかりで、奥様は本当にステキな方です。ご主人様は、外観は「海の男」そのもので、屈強なお体をされています。(もちろんお体は丈夫なので、風邪をひかれて当院にかかられるのも滅多にありませんでした。)しかしお人柄は本当に穏やかで、ニコッと笑われるお顔がとても素晴らしく私が尊敬し、また大好きな方です。
その方のお名前を「事故で亡くなられた方…」に見た時、私の眼は画面にくぎ付けになりながら、画面の周囲の視野がどんどん狭まっていくのを感じていました。「なぜなぜなぜ…」と私の心の中で、私が叫び続けています。
翌日、同姓同名の人違いであってくれたら…と思いつつ、ご自宅を訪ねると、初対面の息子様が玄関に出てくださり、私が「昨日、ニュースを見て、もしやと…」と言いかけると、悲しそうに頷かれました。そのあと、奥様がお出で下さり、居間にお帰りになっているご主人様のご遺体に会わせてくださいました…。

今、私が読んでいる本に次のようなコトバがありました。
「愛する者と死別する。それは永遠の別離ではなく、むしろ、けっして消え去ることのない永遠の世界での新しき邂逅の幕開けではないだろうか。」
(若松英輔著「種まく人」p66)



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死に触れる人々

2019/06/04 Tue 22:05

 私の友人、太田宏人さんが亡くなって1年が経ちました。太田さんは「死に触れる人々」という連載を書いておられました。私への取材のご依頼をいただいた時のメールが残っています。

「死に触れる人々」次回に、遠藤先生のことを書かせていただければと考えております。
おもえば、初めて先生にお会いし、済生会病院へお邪魔したのは2005年のことでした。先日、友人ががんになりまして、やはり、「死」について本人の身になって考えることはじつは不可能だということを痛感いたしました。この連載を始めたときは、記号や情報としてカウントされたり、(商品化され)葬送ルーチンワークの中で処理されていく死、学者やジャーナリストを称する頭のいい人たちが論じる死、そういったものではなく、皮膚感覚を伴う死、嗅覚や、特に触覚を伴う死を読む人に伝えることを意図していました。死の意味を、生の意味を伴う死を、という気持ちでした。しかし、道は半ばです。友人が死ぬかもしれないという可能性に直面するだけで、揺らいでしまう自分がいます。ここは原点に帰り、遠藤先生にお話を伺いたいと思った次第です。

皮膚感覚を伴い死…
昨日読んだ本に次のような文章がありました。「意識に刻まれた記憶は、儚い。時の経過とともに消えゆくのかもしれない。しかし「皮膚」に刻まれた記憶は違う。それは意識とは別な、さらに深い場所で生き続ける・・・」(若松英輔「臨在する者」)

明日の夜、ある学びの会で太田さんのことをお話してきます。
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連休最終日

2019/05/06 Mon 07:34

ゴールデンウィークの最終日、気持ちがブルーなのは私だけでしょうか?
「ああ…連休が終わってしまう…」と悲しんでいる方にお贈りします。
この休みに読んでいた本に、たまたま次のような文章を見つけました。

精一杯生きる日が 
もう一日
与えられているのとは、
なんと幸いなことだろう。

この文章を知ったのは、一昨日でしたので、本当に力づけられました。

この連休にお二人の病める方を看取らせていただきました。
この世を去るということは何と悲しい事でしょう。
(休みが終わるたびに悲しんで いる私は、いつも、この「この世を去る悲しみ」の予行練習をしているようです…)

私が尊敬する神谷美恵子の最期に近き日の詩を最後にご紹介します。

あまり生きる日の少なきを知れば、
人は一日一日を奇跡のようにいただく、
ありうべからざる生として
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常世の花

2019/04/21 Sun 18:30

 今、若松英輔著「常世の花」を読んでいます。
石牟礼道子の「死民たちの春」という詩が紹介されています。

「死民たちの春」
ときじくの
かぐの木の実の花の香り立つ
わがふるさとの
春と夏のあいだに
もうひとつの季節がある

「ときじくの/かぐの木の実の花の香り立つ」とは、『古事記』に記されている彼方の世界「常世の国」にあって季節を問わず豊かな香りを放つ木の実を指す。亡き者たちの沈黙の声は、木の実の「香り」のように彼女(石牟礼道子)のもとを訪れていたのだろう。
(「常世の花」p25)

昨夜、ある方を看取りました。
娘さんの看病を受けながら、ご自宅で静かに生活をされていました。
「90歳になるから、もうこのままでいいです」と、次第に食べられなくなる状態でも穏やかに私の医療のすすめを断られました。
昨夜、「すーっと」本当に穏やかにこの世を去って逝かれました。

明けた今朝、静かな空気の中に
「春と夏のあいだのもうひとつの季節/亡き者たちの沈黙の声」を聴いたのは私だけでしょうか…
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