何もできなくて…

2018/09/19 Wed 16:14

 先日、ご高齢の方を看取りました。
もう何年もたんぽぽ診療所にお通いになられた方です。
90歳を超えられて、次第に通うことができなくなり、私が在宅診療に伺っていました。
この夏の暑さがきつく、次第に食事がとれなくなり、最期はお子様方に見守られながら、静かに息を引き取られました。

最期の診察の時、私が「よく看取られましたね」とお子様方に声をかけると、
ご長男が「いえ、何もできなくて…、そばにいることしかできなくて…」とおっしゃられました。

「何もできなく…」

これが人生の究極の目的のような気がしています。
誰もが、お歳を召されて、病になり、「何もできなく」なってくる。
これが人生の最期の姿です。
この姿には、社会的地位や、知識や、財産やそんなものは何の役に立たない。
どれほど、自分の周りをそんなもので囲っても、最期は「何もできない…」状態が待っている。
もちろん、その愛する人を喪う人も、「何もできない…」(私のような他人から見れば「よく看取られましたね」などという
見当はずれな言葉が出てきてしまう…)

そして「何もできなくて…」のあとは
「ただそばにいるしか・・・」
これも人生の究極の姿かと感じます。

まだ時間が残されているときから、「何もできない…」「ただそばにいる」を大切にしたいです。
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本当の悲しみ

2018/08/26 Sun 19:49

 先日ラジオから「伊藤和也さん写真展」のお知らせが流れてきました。
静岡県掛川市出身の伊藤和也さんがアフガニスタン東部のナングラハル県で尊い命を失くされてから今年で10年となります。
節目となる今夏、「伊藤和也さん写真展」が開催されています。
伊藤さんは子供たちの写真をたくさん撮られたようです。
和也さんを亡くされたご両親様が和也さんの撮られた子供たちの写真を見てのお言葉に次のようなものがあります。
 「君たちは本当に奇麗でまっすぐな瞳をしていますね。
  その瞳の中に、和也が写っています。
  君たちと一緒に笑っている和也の声が聞こえてきます…」

 昨日、まだ40歳代の方を看取りました。
臨終のとき、お母様がその肩を抱きかかえるようにして、目を真っ赤に泣きはらして、いまにも止まろうとしている息を、ひとつひとつ感じ取っておられた姿が忘れられません。
大切な人を亡くす悲しみ…
本当の悲しみ…
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本当のコトバ

2018/08/23 Thu 22:27

 悲しみに苦しむ方が、幾人もたんぽぽ診療所においでくださいます。
私の前にお座りになり、大切な言葉を発してくださります。

「(大切な人を亡くすと)人生の半分とられた」
「(大切な人を亡くして、1年たつと)本当にいないんだなと、ヒシヒシと感じる」

私自身もそうですが、
本当に苦しい時、本当に悲しい時しか、この気持ちはわからない・・・
しかし、人にケアをしようとするのは
本当に苦しい時、本当に悲しい時はできない・・・?

先日、ご主人が癌で苦しんでおられる奥様が、私の前でやはり悲しみを語って行かれました。
最後に「先生、何か言ってよ」と言われ ました。
私は何も言えない・・・。
奥様の悲しみから出る「本当のコトバ」の前に、私は何も発することができない。

私の好きな歌に「ふれあい」という曲があります。
「悲しみに 出会うたび あの人を 思い出す こんな時 そばにいて 肩を抱いて ほしいと
なぐさめも 涙もいらないさ ぬくもりが ほしいだけ ひとはみな 一人では 生きてゆけない ものだから ...」

一人では生きてゆけない…
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 ある日、出勤中に古くからの親友に出会いました。
聞けば、駅からずっと歩いてきたと・・・
「昨日は親父の命日でね・・・飲み過ぎちゃった」
「酒を抜くために、歩いているの」と。

 2年半前、私の父が癌とわかり、苦しんでいた時、ある人から「歳だからしょうがないよな」と言われ、無性に腹が立ちました。
その時、ここ数年間に、私の親友が相次いで父親を喪っていたのを思い出し、その親友達に会いに行きました。
親友達からは聞いた言葉は、
「(父を)喪い数年たったけど、父のことを思わない日はない」
「(父を)喪ったことは、腹の中がひっくり返るような経験」
「数年たったけどまだ受け入れられない」
この言葉を聞いて、私のこの苦しみがなくなったわけではないのですが、「悲しみを慰めてくれるのは、悲しみの中にある人」というのを痛感しました。
この親友はその一人です。
私より、お父様を喪ってからの年月は長くなっていますが、「昨日は親父の命日でね・・・」のコトバは、私に心深く入ってきてくれました。
「悲しみは亡き人の訪れ」
その親友も、悲しみの扉から亡きお父様が訪れているのでしょう・・・

親しき友というのは、ただの遊び友達ではない。
心深く入ってきてくれるコトバを語ってくれる人・・・
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真に拠り所となる他者

2018/07/04 Wed 17:48

 このブログをお読みくださっている方から、「6月はブログの更新がない…」と私をご心配くださるお言葉をいただけました。本当にうれしかったです。またご心配おかけしてすみませんでした。6月はちょっと勉強会などがいくつかあり、その準備でブログが滞ってしまったこともありますが、5月の最終に書かせていただいた、わが友太田宏人さんの逝去も私に響いています。ふとした時に「太田さん、どんな気持ちだったのかな~」とか「太田さん、今どこにいるのかな~」と思っています…。

 6/2(土)に静岡サイコオンコロジー研究会で山崎章郎先生をお招きしました。「病院で死ぬということ」という本を著され、現在緩和ケアの日本の第一人者であられます。その山崎先生が「真に拠り所となる他者」というコトバを教えてくださりました。私にとって「真に拠り所となる他者」は誰なのか…。まがいものの、拠り所のふりをしているものはたくさんあります…。

 こんなことを考え感じている間に、看取らせていただいた方もいます。今、臨終の時にいる方もいます。一見、絶望的な状況で、一般の人からは全く振り向かれない状況の中で、社会からは遠のいてしまった中で、その中でも「真に拠り所となる他者」は誰でしょう?
わが友、太田宏人さんの次の文章をぜひお読みいただければ幸いです。
「いのちおわるときに」http://www.shukatusodan.com/skdiary/012/04.html
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